以前にも話したことがあるのだが私は1歳の頃から発達障害の診断を受けている。最近、多いグレーゾーンみたいな類でもない、明らかにやばい人がこの記事を書いています。そんなこと言うと「お前、こんなに文章かけるんだから、そこまで障害重くないだろ、絶対に盛ってるよね」みたいなことを思うかもしれません。まあ結論から話すと盛っているのは事実です。でも昔は手に負えないほど変な人だったと思います。
今回は私のことと特別支援学級についてネットサーフィンした感想を述べようと思います。私がネットで見て思ったことをそのまま書いているため情報に偏りがある場合があります。
大人の発達障害のエッセイはともかく支援学級レベル発達障害のエッセイって需要あるの?
ネットを使っている知的障害、発達障害にはどんな人がいるか?
私が見た感じネット上で発達障害の情報を発信したりエッセイ本を出版している人はは大きく分けて3つに分類されると思われます。
「発達障害の子供がいる親」「特別支援教育関係者」「大人になってから発達障害が分かった当事者」である。前2つは軽度から重度まで様々な障害のある子供を育てている、教育している事例が多く、発達障害当事者というよりは同じ発達障害や知的障害の子供がいる親に向けた内容になっている。特にInstagram、アメブロに関しては利用者層に子育てをしている人が多いのもあるので「支援学級当事者の意見」が少なく見えるのかもしれません。noteは教員が多い印象です。
後者は発達障害当事者に向けた内容である。ライフハックの本は私のように幼少期診断役立つかもしれないがこのような本の経験談は学生時代の環境が支援学級ではなく普通学級で過ごしたり、バイトをしたりと少なくとも私よりは高度な生活を送っていることが分かる。発達障害は生まれつきだが彼らは健常者と同等の環境で育った人が多い印象、やはり同じ発達障害でも知的障害の有無で10代の環境や住む世界が違いすぎるのか。特に女性の場合は発達障害の特性が表面化しにくいため、普通学級でやっていけたという人が多いのかなと感じることもある。(ASD:ADHDは男性の方が多いし表面化しやすい、発達障害の経験、エッセイを書く人は女性が多い印象)
それとエッセイを書いている発達障害当事者は1990年代以前に小学校を過ごしていることもあるので時代の背景も影響していると考えられる。(1990年代は知的障害が伴わない発達障害の生徒は支援学級に通う人が少なく変な人扱いされてたみたいな話をブログとかで頻繁に目にする。)特にみいちゃんと山田さんという漫画は時代的な背景もあるが支援学級=重度の子しかいないみたいな感じでなるべく入れたくないみたいな感じなのが顕著に出ている。
つまり私みたいに(2000年代)幼少期から支援学級とかに通って普通とは違う人生を歩んできた本人の体験談ってネット上にものすごく少ないんですよ。ネットの世界の発達障害者の割合の殆どが「大人の発達障害」と言われる人で占めていると思うし、幼少期に診断されるような発達障害者はほぼ親が発信している事例しか見たことがない。恐らく私は特別支援教育がまだ普及していないころに早期療育を受けた世代です。
少し前2ちゃんねるで療育経験談を語る人がいましたが、読んでみたら時代も含め、似たような境遇でとても共感しました。でも最近のnoteとかヤフー知恵袋、匿名サイトなどを見てると割と支援学級当事者の意見も少ないですがあるので、支援学級にも軽度の人(自分でスマホを使って文章を書いて、ネットに投稿する一連の流れができる程度の人)が増えてきている印象はあるのかなと思います。なんなら私の支援学級の友達は中学生でYouTubeの投稿もやってたりもしてたみたい。
あと、私の時代には情緒学級みたいな概念とか一切ない時代でした。というより私のところの支援学級には発達障害単独の生徒は私1人しかいませんでした。もしかしたら当時、発達障害の生徒は普通学級にいたのかもしれないです。
ネットでの支援学級の印象と闇と誹謗中傷
X、ヤフー知恵袋、教えてgoo、note、アメブロ、インスタ、YouTube、匿名掲示板などなどといったサイトを一通りネットサーフィンしてみた。
ヤフー知恵袋では時代の影響か40~50代の人が支援学級に対し、嫌な目、差別意識を持つ人が多い印象だった。それと支援学級絡みのお世話係への愚痴も本人や親、さらには異性トラブル(支援学級の人に好かれて気持ち悪い〜)的な質問もそこそこみられた。そして支援学級にいることを葛藤している思春期の子供もいた。文面から推測するに男子より女子が多い印象でした。
Xは人口が多いツールなので支援学級関係だと障害児の親、支援学級、支援学校教員の利用者も見られた。しかし🌻学級と揶揄する風潮もあり、やはり障害児への偏見を嘲笑う層が一定数いるみたいだ。そして発達障害系のアカウントでは支援学級の話はタブーぽい印象が見られた。理由は支援学級に行きたくても、自分の発達障害を知ったのが大人になってからの人が多く支援学級に行きたかったけど行けなかったと発言する人がそれなりに見られたので、私がその人たちに支援学級に通っていたなんて喋ったら、ある意味自慢やマウント取ってるみたいに思われる可能性もあるので、そういう人たちにあまりそういう発言はしない方がいいと思った。肝心の支援学級当事者だが、xで「昔支援学級、支援学校に通っていた」みたいな発言をする人はまあまあいました。中には私と同じく絵を描いているタイプの人もいました。
note 、インスタ、YouTube、アメブロは支援学級当事者はほぼいません。殆ど親か先生です。その代わり紹介されている人たちは軽度の人は少なく中度〜重度の子が多い印象でした。YouTubeでは某チャンネルにて🌻学級のことを誇張したかのように闇を語るチャンネルを見てしまいましたが私の通っていた支援学級と150°くらい違う印象でした。私の通っていた支援学級にはたまたまかもしれないがネットで氵也氵召やカ゛イシ゛と揶揄されるような障害者はいなかった、まあ喧嘩とか人間関係のトラブルは多少はあったけど、そこまで重大レベルでもなく、皆自分のペースで勉強をしたりしていました。
色々見ていると支援学級というレッテルを貼られていじめの対象、腫れ物扱いしていたみたいな事例がそこそこ多かった感じ理由も調べてみたが「知的障害だからいじめても問題ないと思った」「他の人と挙動や行動が違うから」「支援学級の子だけひいきされてずるい」「支援学級だからといって悪いことをしても先生が対応してくれない」「支援学級の子のお世話でトラウマになった」「暴れている、奇声、何されるか分からないイメージ、先入観がある(これはXや匿名サイトの不謹慎ネタを見た影響もあるかもしれない)」「単純に支援学級の子(弱い者)をいじめてストレスを発散していた」など
あくまでもネットでのマイナスな意見を集めただけなので、全てに当てはまるわけではない。
知的障害が重いとネットすら使えないんじゃないのか?
子供の頃から何かしらの支援を受けている当事者は一昔だと重度の知的障害者くらいしかいなく軽度の人たちは普通学級にて見過ごされていたと前述しましたが、その時代は支援学級の経験談を語れるような人が少ないのも、察しがつきますよね。
注意、障害児の親のブログを見る限り重度〜中度でもタブレットやスマホを使う人もいるみたいなので重度障害者=スマホを使えないは間違いである。ただしアカウントを作成し自分からSNSなどで発信するまでの流れができるかどうかは障害の程度によってできるかどうかが変わってくるのだと思う。
2000年代以降はネットの普及、支援学級の普及に伴い軽度の知的障害者や発達障害者も支援学級に入れたい親が増えた印象です。となるとSNSで発信する支援学級当事者がいてもおかしくない時代になったと思います。SNSが普及してきた影響もあると思いますが、支援学級に軽度の人たちも入ってきたことも影響していると思います。
ここから私の話です。(ポジティブな話題もあります。)
ここから私が実際に9年間支援級に入っていた時の闇と光を全て語ります。
私は割と発達障害の理解があまり浸透しつつある時代、発達障害のみで支援学級に入っていました。当時は知的障害もあったのかもしれませんが、親曰くIQの検査はバラバラみたいだったそうです。交流で授業やテストを受けたことはあったが、基本的に支援級にいたので普通級の様子はどんな感じなのかはあまり理解していなかったです。交流学級でのテストの点は勉強してたので、そこそこ良い点は取れたと思います。支援級での授業は普通級と同じ勉強内容をやっており、人によって学習内容が異なっていました。でも私は情緒面は12歳時点で5歳程度だったと思います、アニメや食べ物とかの好き嫌いも激しく結構大変でしたが徐々に好き嫌いも減って一人で外食したりすることもできるようになったり、他人の意見も少しは聞けるようになったと思います。勉強も療育も両立して教えてくれた小学校の先生には感謝しています。
小3.4の頃から私は周りとは何か違うなと気付き始めたし、親が障害のことを話してくれたので「障害受容」はできていたと思います。将来の進路に制限がかかる(支援学級→支援学校高等部→障害者雇用、A型、B型事業所)みたいなことも薄々気づいてはいました。
問題は中学の時になり、授業のレベルが小学生時代よりも大幅に下がったことです。小学校の先生は発達や知能のレベルに合わせた学習内容を提供してくれましたが、中学になると英語の時間はほぼ1年間、幼稚園レベルの英語の歌(YouTube)を毎回流したり、1日中映画を流しながら作業をするだけのこともあった。まあ歴史、地理や理科などは科目の先生が授業をしてくれたのでしっかりと授業を受けることができました。物足りないこともあったが、授業で先生と一緒にバーナーや電動のこぎりを使ったりできたのは印象に残っています。
余談、当時の私のマイブーム
普通学級との深い関りはあまりなかったので放課後に友達と公園とかで遊びをするようなことはなく、任天堂3DS、YouTubeやニコニコ動画のMAD動画(レッツゴー陰陽師、グルメレース、ナイト・オブ・ナイツ、最終鬼畜フランドール、東方の曲、アールグレイ東方DOKIDOKIDISK(添い寝ボイス))とかを見たり聞いたりしていました。中学の時はお絵かきをしていました、支援級の友達も同じような動画を見ていたので結構話が弾んでいた感じです。絵はネットで拾った萌え系のイラストの模写や女の子のイラストを鉛筆と100円ショップの画用紙に描いていたと思います。(イラストの勉強をしていなかったので画力はめっちゃ低い)
あとは詳細は分かりませんが、小学校のときにIQが若干上がったらしいです。変な推測だと任天堂DSの脳トレを遊び感覚でやっていたのが大きかったのかもしれません。(←絶対違う)
参考内容
「特別支援学級」で育った子の知られざる本音 5歳で発達障害の診断を受けた女性の今 | おとなたちには、わからない | 東洋経済オンライン
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